おやつにするよ



おやつだそうです。
何ともいえない響きがいいですね。

おやつにするよ―3時のごちそう手帖 (祥伝社黄金文庫 ひ 8-1)

おやつにするよ―3時のごちそう手帖 (祥伝社黄金文庫 ひ 8-1)



普段ならこの手の本はまず手にとらない。
本屋に行けば、まわりとは違った
いい雰囲気を醸している本だと思う。
今日は会社のお菓子が取り上げられているので
手にとった。


“おやつ”にはやっぱり何ともいえない響きがある。
まず、おやつで一冊の本が書けるほど
愛情をそそがれた平澤まりこさんに
敬意を評したいと思う。


先日、田中英寿の「In His Times」を読んで
http://d.hatena.ne.jp/kemplebar/20070315/1173972940
等身大という言葉が引っかかった。
等身大という言葉は、この手の本の人気からみても
だいぶ広まってきているのだろうけれど、
そこにある危うさを、何となく感じた。

「ここまで1ヶ月、苦しかったことは?」
「特にない」
中田は言った。
「そんなこと言わずに、何か探して」
私が笑うと、中田も笑ってカーゴパンツだったか、ジーンズだったか裾をたくしあげた。スネは、見たこともないような深い傷や、どす黒いかさぶたで滅茶苦茶だった。痛いか、などと聞くまでもない。顔を背けた。
「レガースは?」
「してる。でも意味はない」
アジアから来た、しかもユヴェントス戦で2ゴールも奪った生意気なお客さんには、一発お見舞いしとけ。暖かい歓迎だ。
「でも、ここに来てから、オレにファウルをした相手に出たイエローカードのを数えているんだ。もう10枚は超えたかな。その度にこう思う」
裾を直して、イスに座り、中田はこう言った。
「オレは死んでも倒れない。悪質なファウルなんかに倒れるか、って。もし倒れていたら、本当に二度と立ち上がれないときだよ」
等身大からの脱却とは、そういうことだった。世界で、自らの存在価値を築き上げるとは、そういう戦いだった。(p.240)

等身大でいることは楽なのかもしれない。
それを拒むことは、無理をすることであり、
足下を見ず、遠い先ばかりを見すえた
的を得ない行為なのかもしれない。
何れにせよ、今のここに甘んじてはいけない。


等身大の自分をいかに見つめ直すのか。


おやつとはなんの関係もないことを思った。