市民マラソンの輝き



市民マラソンの輝き―ストリートパーティーに花を!

市民マラソンの輝き―ストリートパーティーに花を!

この本の著者、大島幸夫さんが
「東京夢舞いマラソン」の
仕掛け人だと知ったのは
全部読み終わって
あとがきに入ったころでした。
なんかとても親近感が湧いてきます。


小布施見にマラソンのきっかけの
一つですから。

改めて思う。言葉は文化である。スポーツの分野とて同じだろう。
市民マラソンといい、市民ランナーという。こういう言い回しは、日本にしかない。
欧米では単にマラソンであり、ランナーである。
なのに、わざわざその前に「市民」と振る日本語がある。なぜか。
ラソンは、文字どおり、道路を走る。競技場のトラックやフィールドで行われる他の陸上競技と違って、ランナーは町に出て行く。競技場スポーツとは言えないマラソンの社会性は、何より公道スポーツ、街路スポーツという点にある。(はじめに)

やっぱりマラソンはフェスティバルであり
お祭りなんだと思う。
東京マラソン」でもたしか
東京マラソン祭りと言われていたし。


日本での市民マラソン
花開くのは1975年の市民ランナーの
ボストンマラソンの参加までしか
さかのぼれないらしい。
それまでは、女性やお年寄りが
走っているだけで
変な目で見られることがあった。


いつの時代もその時代の一般的認識というか
偏見に左右されてきた。


それは今でも感じることがあった。
市民マラソンなんて言葉はダサイし、
のんびり走っているランナーのための
交通規制には理解が得られないとか、
お年寄りの参加は危険だとか、
そんなことは山ほどいわれたなあ。


走ることの
喜びと
楽しみと
美しさを
引き上げてくれて
人たちには
ありがとう。


日本中、世界中で、しかもボランティアで
こんなことまでやっている人たちがいる。
自分ももっとやらねば!


自分がマラソンを走ろうと思うとは
夢にも思っていなかった。
それが東京マラソンで一転して、
週に何回かのランニングを楽しみ、
ラソンレースへの参加を考えるようになった。
実際に走ることでお祭りとしての
ラソンの価値を再認識したい。


めざせ!東京マラソン2008完走