クオリア日記 夢見ることに似た



茂木健一郎さんのクオリア日記
体験に関したことが書いてあった。

夢は、昼間に体験したこと、
蓄積された記憶が整理されるプロセス
である。


 それがあたかも「私」という
自我の全体にかかわるような形で
進行することが面白い。
 記憶を整理するだけならば、
純粋に情報論的な理屈に基づいて
自我と無関係に行えば良いようなものを、
あたかも自分がその中に包み込まれて
しまったような感覚を伴って
全てが進む。


つまりは、体験というものは、「自分」
というものに関係して整理しなければ
意味がないことという
ことなのであろう。
常に、「私」が関与する形で
世界に関する知識を調えることで、
初めて「生きる」ことに資する。

目に見えないものや、遠く離れたものも
写真や映像、インターネット、メール
などに技術によって
役立つ情報へと構成され直されているような
そんな雰囲気は少しあるだろう。


けれども体験するということや
そこに付随するクオリア


目で見たり、耳で聞いたり
頭で考えたりするだけでは
どこまで「自分」というものとの
関係性の中に存在することができるだろう。


五感と呼ばれるもの全てを動員して
2度と訪れることのない
その場所、その瞬間を
「自分」に関係性のなかで
つなぎとめなければならない。