初夏の京都 食べ物



肝心の食べ物。
お昼はこの祇園周辺で頂きました。


「むら田」という名のごま屋で
京生麩の佃煮を買ったついでに
お昼のことを聞いてみました。
この辺りは予約のところが
やはり多いらしく
お勧めといっても、あんまりピンと
くるものがないようなお返事でした。


だからというわけでもなく
歩く途中にあった「浜作」という
ところに入りました。



お昼を前にはしゃく子ども


京都の料理というと会席が
浮かんできます。
もっとプリミティブなものがないか?
という漠然とした期待を
持っていました。


そこにピタリというわけには・・・
残念ながら行きませんでしたが
生麩の田楽
品のいい漬物
味わったことのない香りのお茶
など、その片鱗を感じたような気がします。



みんなでお出かけをすると
弘一郎君はいつもアイスとプリンが
お目当てのようです・・・


宇治で平等院を見て感動した後は
「中村藤吉本店」
というところで
宇治金時の冷やしぜんざいと濃茶
を頂きました。
冷やしぜんざいの
ボリュームはさることながら
通りの土蔵造りから一歩はいると
昔から続くお茶の売り場の奥に
中庭に面したモダンなカフェがあり
混雑していました。
よくよく見ると、以前は工場か何かに
使っていたような柱梁が見えています。





静かな表通りから引き込んで
賑わいがあるのもいいものです。


抹茶には「濃茶」というものがあり
これほどまでに濃いものだとは
知りませんでした。


先日、茂木さんが濃茶について
書いていました。
「消し去るほどの深い」

千宗屋さんが入って来られて、
「濃茶を差し上げます」
と言って、所作が始まった。


千さんが半眼に入る。
凛とした緊迫感が走る。
目に見えない刃が
やりとりされている。


戦慄した。
千利休その人が、そこに甦って
いるのではないかという錯覚に囚われた。


長次郎の赤楽茶碗でいただく。


生命そのものの源であるところの
濃い緑色をした、泥状のもの。


それまでに味わった全ての
食事、お酒、お菓子を消し去るほどの
深い一撃があった。


「そうでなくては困るのです」
と千さん。



ぼくがこのイージーなカフェで
気軽に感じたものなど
茂木さんが武者小路千家の茶室で
感じたものに比べれば
比較するほどのものでもない。
と思う一方で


そのように言語化された感情を
追体験できたことに少し満足を覚えます。


今度はお手前を頂きたいと
そのように思います。