甲子園が割れた日

甲子園が割れた日―松井秀喜5連続敬遠の真実

甲子園が割れた日―松井秀喜5連続敬遠の真実

1992年、夏の甲子園。石川代表の星稜対高知代表明徳義塾の試合。
松井秀喜に対する5打席連続に関わった人たちの思い。
高校野球に関する記憶は以外と大いに違いない。
日本のプロ野球メジャーリーグ、など最高レベルで行われる
プロフェッショナルとしての、エンターテイメントとしての野球よりも
日本の高校野球、特に甲子園はどうして、日本人を引きつけるのだろう。


自分も例外でなく、生まれ故郷の代表はどの高校で、勝敗の行方は?
今すんでいるこの場所のチームよりも気にかけてしまう。
高校野球というのは、スポーツ以上のなにかであるのだ。


大相撲の朝青龍問題という得体の知れないもののなかで
スポーツマンとして云々する以上に、相撲が神事を発祥とするが故の精神性や
日本の国技としての品格が声高に叫ばれる。相撲協会のトップは
ハッキリとした事情説明も、自らの不祥事に対する謝罪も行わない。
本当に朝青龍だけがあるもの扱いされるものだったのか?


高野連の特待生問題も同じような不条理さを含んでいるように感じられる。
高校野球や大相撲には地域性や神秘性と結びつく精神性への尊重が
願われているのだろう。それは至極当然のことであり、日本の良さなのだろうが
そこに、協会トップの権力が絡んでいるところは何とも醜い。


松井本人、松井を敬遠した投手・河野、星稜の監督・山下
敬遠を指示した明徳の監督・馬淵をはじめとして
綴られたインタビューはどれも断片的で、是非を考えるようなものではない。
著者自身を、10年前の出来事への思いを聞き集めるうちに
答えのでないことを知ったのかもしれない。


まだ中学3年だった私は、あの年のことをあまり覚えていない。
日本中から注目を集めていた隣の石川県の代表の松井秀喜を見ていた。
15年前の出来事が言語化され、再び思い返して思うことは
その場で、甲子園球場で野球の試合をしていた両チームのメンバーは
監督も含めて、あくまで純粋にプレーしていたのだろうということ。
外野がとやかく言うことではないような気さえもする。


外野としてとやかくいうことが、マスコミや大衆の役割なのかもしれない
などと思いつつも、感情を抱え込まない正義が高校生を少なからず
傷つけたことは確かだ。