In His Times 中田英寿という時代



In His Times 中田英寿という時代

In His Times 中田英寿という時代

中田英寿というサッカー選手は
日本人としては、はじめてただの
サッカー選手では終わらなかったサッカー選手
ではないだろうか。


それとも、子供の頃、あまりサッカーを目にする機会などなく
野球ばかりを見ていたせいかもしれない。
長嶋茂雄がただのプロ野球選手で
終わることは時代が許さなかったような。


本の中では中田英寿が高校を卒業後、
Jリーグ史上初めての11チームから
オファーを受けて、
ベルマーレ平塚にサッカー選手として
入る時のインタビューからはじまり、
ドイツWCUP後のニューヨークまで続く。


彼のまだ有名になる前のインタビューや
エピソードはとても気になる。

倒れることが嫌いなのは、単にそれが全然美しい行為ではないからですよ。(p.82)

なぜなら、完璧はありませんから。完璧がない以上、必ず、欠けている、何か足りない部分がある。練習でも試合でもそれは毎日、どんな時でも自分に欠けている部分は考え続けなくてはいけないものですからね。(p.158)

「みながこの番号と存在にすべてを期待している。毎試合、持てる力のすべてを出し尽くさねばならないし、これを背負うことは、サッカー選手としてだけでなく、一人の人間としてそのパーソナリティ、価値観を試され、中止されることを意味している。勝てば皆が良かったからだが、もし何かうまくいかないことがあれば、その責任はすべてこの番号にのしかかる。今やどこの監督もこの存在を基盤に戦略を練りチーム作りをするから、それも当然だが。10番は、まるで鉛のようにズシリと重い。」 ーーロベルト・バッジョ(p.168)

「等身大」という心地よさをあえて拒み、常に等身大以上の「何か」を追い続けるために戦おうとした長く過酷な旅も、「代表」から始まった。本人は過酷だなんてこれっぽっちも思っていなかったはずだが、まだまだできるはずだ、もっともっと頑張らなくては、と常に満足を拒否しようとする向上心は、きっとサッカーについてではなく、彼の人生観なのだ。(p.238)

だから、どうしてそこまで思ってくれるのかは正直、今も分からない。分からないけれど、ジーコはぼくを心から信頼してくれる、というのを強く感じられたと思う。人間というのは、誰かに必要とされて、信頼されるのが一番うれしいことじゃないかな。(p.246)



ドイツWCUPの時、終わった後、中田英寿
さまざまなカタチでメディアにさらされた。
ぼくが個人的に感じたことも無責任なメディアに
影響されているだろうことが、とても残念だ。


中田英寿という人はこの本に書かれていることの
何倍もいろんなことを考えているのだろうけれど
その何十分の一のなかに、
こんなことが含まれていることが
やはり、彼は大した人だと思う。