日本型システムの終焉 上田紀行



日本型システムの終焉―自分自身を生きるために

日本型システムの終焉―自分自身を生きるために



11日(土)の茂木さんと上田さんの
対談を聞いて早速・・・
上田さんの著書を一冊読んでみました。


文化人類学者である上田さんは
宗教や習慣、学校教育、癒し
などといった問題に関して
言及することが多いようです。
上田さんの考えとしては
その問題点の根っこは
ある種つながりがあるとのこと。


初っ端から「洗脳教育からの脱出」
という刺激的な章がつけられています。
マスコミがあーだ、こーだとさまざまなことを
面白おかしく騒ぐ以前に・・・


根本となる学校教育に
「洗脳教育」的な要素が含まれている
という恐ろしいお話。
もちろん、そうでないことも
世界に誇るべき内容も
あるのでしょうが。


今の日本の現状を診ていると
「ぼくも同感です」と
頷かざるを得ません。

 考えてみれば、日本の学校をこれまで何とか救っていたのは、クラスに必ずひとりはいた洟垂れ小僧だったり、「不良」だが突然正義感を噴出させて弱者をかばう剛の者だったり、嫌いな給食を昼休み中かけて必死に食べている子だったりしたのではないか。そういう子たちのたぐい稀なる存在感こそが、他者の存在への次元へのメッセージを発していたのではないか。
(p.25)

ぼくのようないつもいつもいつも
先生に怒られていた人間も
そういう意味では、役立っていたのかもしれません。


大学を離れて5年
小学校にいたっては20年近く経っていますから
その中の状況がどれほどのものなのか
推し量ることしかできませんが
自分も友達や従兄弟の子どもたちが
大きくなるにつれて
自分自身の将来の家族にも
関わる問題だという意識は強くなります。


けれども、やはり
町の中で子どもたちをあまり目にしないこと
「危険!あそぶな」という看板ばかりが
目立つ現状を考えると
その病理は重いのかもしれない。



もう一ヶ所、上田さんの本の中で
頷かざるを得ないのはこんなことでしょうか。

しかし、同時に指摘しておかなければならないのは、そうした深い問題に対して、人々が「お手軽」な解答を求めてしまうという傾向である。ねばり強く困難な問題に対処し、深く探求し続けていく力は落ちてきており、また「効率性」を強く求める指向から逃れられる人は少ない。マニュアル漬けによる人間のロボット化を耐えられないと感じながらも、それからの自己回復にもマニュアルがなければ不安で仕方がないといった心性がそこにはある。(p.143)