善光寺

先日、久しぶりに善光寺を訪れた。といっても家から歩いて5分ぐらいだから訪れたというのもなんだか気が引ける。
月曜日の夕方の善光寺は、参道も境内も人がまばらで、おおかたの店も店じまいの最中。どちらかというと寂しげな、何百年前も昔、日が暮れだすと人々は足早に家に帰っていく情景が浮かんでくるようなそんな静けさ。


善光寺の三門はしばらく桧皮葺の葺き替え中で、仮囲いに覆われたままだった。こんな大きな仮囲いを見ていると、まえ〜にベルリンでブランデンブルク門を遠くから写真に撮ったことを思い出す。遠くから門だと思ったそれは、修復中のブランデンブルク門の仮囲いのプリントだった。 当時の写真


それからもう一つ思い出すのは、スペインやイタリアの街。
坂の上にある善光寺は、長野駅から2kmぐらい歩かないと行けない。だから、ほとんどのひとは善光寺の裏にある駐車場から歩いてくる。これはあまりにももったいない。坂を歩きながら、少しずつ上に上りながらシークエンスが移り変わっていく。それが魅力の一つなのにと思う。


スペインのビルバオグラナダ、フランスのリヨン、イタリアのシエナなど、自分で入った街だけでも、坂がありそこに旧市街があり、その雰囲気が今でも頭の中に残っている。当時はバックパックでの旅だったからもちろんそれは、歩いて坂を上り、だんだんとあがっていく視線の変化を感じながらふと思ったところで写真を撮った。


善光寺も立地条件的には、そういうことが可能だが、問題は歩く道がつまんないことだろう。駅から、新SBCまではどちらかというと歩くのが苦痛だし、その後は段々と坂が急になる。蔵楽庭のあたりまでくれば、よくなってくるが、もう坂は急になり、まずここまで来るのが駅から遠すぎる。そんなことを言ってみたところであれだが、まずは一つ、世界遺産になる前に、表参道の店舗が夕方で閉店になる早めるべきだ。


善光寺には戒壇巡りというとてつもないものがある。





善光寺の三門は2004年から今年いっぱい工事中。大正10年以来の大修理では、桧皮葺から建築当時の栩葺(とちぶき)へと吹き替えられた屋根が、オレンジ色に輝いている。無限に思えるような枚数の薄い板が積み重ねられて持ちえた質感は通常の認識を超えたものがある。


3番目の写真を撮って、善光寺は正面からに限ると思った。斜めでは善光寺の本堂のよさが理解し得ないような気がした。