脳あるヒト 心ある人 養老→角田



さてさて、それにたいして養老先生はこんなことを。
文化と脳の中毒性について。

妙な意見に思えるかもしれないが、文化とは人間の脳が持つ中毒性の所産である。純粋に動物的に生きていくには、文化は不要というしかない。先帝陛下の崩御の時には、歌舞音曲を一時停止したはずである。文化なんてとりあえずなくても、生きていけないというものではない。だからタバコは無用無益で、酒は飲まないほうがいい。そういう意見はいつでもある。でも人間は要りもしない文化を築く。それはヒトの脳に、中毒性があるからではないのか。



人間はどうして中毒するのかは、問題ではないのでしょう。
中毒が悪いのではなく、何に中毒するのかが問題だろう。
その中毒がどこに向かっていくかも問題なんだと思う。


読書中毒とおぼしき二宮金次郎
当時は百姓に学問はいらないと散々言われただろうと
養老先生は考えるのです。


確かに!
自分も含めて、やっていることがいいことになるのか
悪いことになるのか、本当にわからないものです。


でもぼくはタバコはよくないと思うのです。
角田光代さんが書いていたように
考えないためのレッスンに中毒しては
いけないのだろうと思うのです。


考えることに中毒しよう!


読んだ養老孟司先生の本
養老孟司の“逆さメガネ” (PHP新書) バカの壁 (新潮新書) 唯脳論 (ちくま学芸文庫)